石橋 政嗣(いしばし まさし、1924年10月6日 - 2019年12月9日)は、日本の政治家。全駐労出身。日本社会党書記長・副委員長・委員長を歴任した。台湾出身。 台湾礁渓庄に台湾総督府官吏・石橋政八郎の長男として生まれる。台北一中(現・台北市立建国高級中学)を経て、台北高等商業学校(現・台湾大学 13キロバイト (1,826 語) - 2019年12月14日 (土) 21:42 |
95歳だけど残念です…
ご冥福をお祈りいたします…
元社会党委員長の石橋政嗣(いしばし・まさし)氏が死去した。95歳。台湾生まれ。関係者によると、葬儀は12日に福岡市内で執り行われた。
1944年、台湾の台北経済専門学校卒。長崎県議、労働組合活動などを経て55年衆院選で旧長崎2区から初当選。連続12回当選した。旧社会党の総務局長、書記長、副委員長を経て83年に飛鳥田一雄氏に代わり第9代委員長に就任した。
現実政治を重視した「ニュー社会党」路線を推進。党員拡大、原発政策や対韓国政策の見直しなどにも取り組み、社会党の政権政党への脱皮を図った。安全保障分野での論客としても知られた。83年には持論の「非武装中立」を巡り、当時の故中曽根康弘首相と国会で論戦を繰り広げた。
自衛隊については、憲法9条に反するとしながら合法的な存在とする「自衛隊違憲・合法論」を提起した。
86年には第50回大会の続開大会で、マルクス・レーニン主義と決別する新しい党綱領「新宣言」を採択した。同年の衆参同日選で敗れた責任をとって委員長を辞任し、土井たか子副委員長に引き継いだ。90年衆院選に出馬せず政界を引退した。
著書に「非武装中立論」などがある。(共同)
[2019年12月13日10時50分]
https://www.nikkansports.com/general/news/201912130000197.html
(出典 img.news.goo.ne.jp)
>>1
現実政治を重視したw
現実政治を無視した政治だろ
>>1
「非武装中立論」のファンタジーと
「ニュー社会党」で社民主義路線の推進
>>1
これで、ようやく社民党も解党できるな
旧社会党を知る人がまた一人消えた。
論客だったね、この人。
国会おもしろかった。
>>3
社会党は、佐々木更三や富塚書記長もいましたな。
民社党への分派で春日委員長もいた。
中選挙区制から小選挙区制に変わったからか、今の野党党首は小粒だな。
まだ存命だったことに驚き
ともかくご冥福に
台湾が日本を侵略した証拠や
誰だよ
聞いたことねー
拉致は創作と主張したひとだな
マジか
そこまで中曽根に執念深く付き纏うか
あれで現実政治を重視したなら
それ以前はどんだけ現実無視だったんだ?
日本の民主主義は茶番劇だからどんなに野党が頑張ろうが、正当だろうがどうしようもないんだよな
此奴も、北朝鮮の工作員で拉致犯の協力者?
夜明けの停車場かと思った
存命の社会党委員長経験者は村山だけになったか。
まだ生きてたのか
中曽根の後を追ったのか?
地獄で土井たか子が待ってるぞ
この人は社会党を改革しようとしたけど、守旧派に阻まれて(というか流されて)結局成果上げられなかったんだよな。
その後の凋落を考えると、分岐点の一つだったな。
>>22
石橋さんは、自身が委員長のときにはもう社会党が
歴史的役割を終えたことを自覚していたと思う。
>>22
そうかなあ
結局は、村山政権で阪神大震災で有効な手が打てなかったのが直接の原因じゃね?
初動の遅れは酷すぎたんだし
>>22
その時点ではもう凋落まっしぐらだったよ。
村山政権が誕生したのだって結局、自民党を延命させるだけだったし、党としての理念が無くなった。
>>22
当時の日本社会党の派閥に、
社会主義協会と言うのがあって、
宮本共産党より、ガチガチの共産原理主義=妥協をしない主張を展開していましたわ。
まだ生きてたのか成田の時に書記長で負けてもう上がってこないと思ったが
長生きしたなー
長生きしたなあ
社会党の人は長生きだな
おたかさんに美味しいとこ全部持っていかれた挙げ句
党そのものも瓦解した感
エリツィンとゴルバチョフみたいな
中曽根と日本航空123便墜落事故の闇をつついて欲しかったなぁ。
まだ村山が生きとる
社会党共和国連絡部の謎を墓場までもって行きやがった。
>>34
そんなのあったのか。
悪いやつほど長生きだ
>>35
読んだ?
不破
>>35
中曽根 享年101歳
村山 95歳
ナベツネ 93歳
竹入 93歳
不破 89歳
非武装中立って机上の空論だったよな。
この人の非武装中立論自体は結局現実的な安全保障構想を建てられない議論だったが、気骨ある人物だった。
社会党の党首には何の実権も無かったのがこの人の悲劇だった。
非武装中立論は結局ソ連や中国に日本を占領してもらって手っ取り早く日本を共産主義国に変えるための方便だよ。
そうなれば自分たちは労せずして政権の座につくことができると考えていた。
>>41
サヨクって結局それなんだよな。
政策で政権は取れないし
取ったってただの大臣でしかない。
日本を文字どおり支配するには
外国に日本を支配させて
自分たちが日本における責任者的立場になることw
飛鳥田の尻拭いさせられた
社会党では割とまともな委員長だったという印象
まだご存命だったか
面白い人だったよね
ご冥福をお祈りします
そういえば田辺は生きてんの?
>>44
石橋・田辺って競馬の騎手みたいだな
社民党の現実政治とは、世の中の現実を見ない
脳内自己マンセーの仮想現実世界の政治だったし
先日の中曽根総理の訃報で石橋委員長を思い出したわ
あの頃は社会党もまだ元気だったな
長生きだったな
路線的には社公民路線で共産党とは絶縁していた
その頃の共産党は国会でも他党から完全無視されていた
今では共産党もずいぶん他党と連携するようになったな
あのあたりから社会党が完全にダメになっていったんだよね
憎まれっ子は長生き
冷戦期でソ連からいくらでも資金援助あった社会党の黄金期か
社会党はマスコミや書籍によって美化されているが
どうせモリカケや桜レベルのことを延々と自社さ政権ができるまでやってたんだろ?
当時は中選挙区制でこういう不良政党の議員が今よりも通りやすい環境だったし、
社会が極左が正しいという風潮で
マスコミも今よりもひどかった
今の特定野党やマスコミを見る限り、社会党がモリカケやるレベルだったことはほぼ間違いない
>>53
ソ連中国北朝鮮を礼賛していた社会党の罪は極めて重いわ
ただ、社会党があった頃の自民党は今よりも強力だったから政治的には安定していて安心感があった
公明党が野党側にいても自民党は単独で衆参過半数を得ていたからね
>>53
子供ながらに「こいつらいつも人のやることに反対しかしてねえな」と思ってたな
小泉訪朝で拉致問題が確定してからこいつらの支持が急落したのを見てざまあみろとしか思わんかった
何年か前に雑誌のグラビアで三宅坂の社会党本部を福島瑞穂が案内する特集を見たけど、まるで廃墟のようで惨めったらなかった
>>58
社民党が崩壊したのってやっぱり拉致を北朝鮮が認めたって所だよな
これで全部がウソってなってしまった
受給した年金総額軽く1億円越えてるかね?スゲー貰い得したね
中曽根康弘、不破哲三に続いてこの時代の党首級がまた逝ったか
>>56
不破は生きてるぞ。中曽根死去でテレビで
インタビュー受けてたじゃん。
>>56
中曽根政権当時の野党党首
社会党 飛鳥田、石橋(両名とも没)
公明党 竹入、矢野(両名とも存命)
民社党 佐々木(没)、塚本(存命)
共産党 不破(存命)
新自ク 田川(没)、河野(存命)
社民連 田(没)、江田(存命)
>>59
不破がまだ健在なのがまた驚くよなぁ
共産党はここ三十年変わってないような
いつまで志位なんだよと
>>79
どんなに選挙に負けても居座り続けるのを見ると
本当に独裁体質なんだなと思うわ
「ニュー」って聞くとすぐに「ホテルニュー岡部」のCMを思い浮かべてしまう
村山もはよ!
生きてたんかい
もう何十年も名前聞いてない感じ
>>62
石橋さんは90年総選挙不出馬で政界引退してからは、
ほんとに隠居生活を送っておられたからね。
>著書に「非武装中立論」などがある。
これで現実政治を重視なのか?
アメリカ軍基地労働者の全駐労出身だったから、石橋本人は、それほど反米ではなかったんだがな。
この人は非武装中立が持論なのに、どこが現実路線なのか?
>>68
親ソ・親中の社会党を、石橋が非武装中立まで持って行ったんだよ。
石橋政嗣さんは政治家を引退した後、私が住んでいたアパートの近くに住んでいた。
何度か散歩している姿を見たことがある。
それはいかんざき
の人はどこいった?
反日サヨクテロリストがくたばった!
万歳!万歳!万歳!
今夜は酒が旨いな!
只の売国奴
日本人を売って売って一生を終えた
まあ、地獄行きだろね
台湾で生まれて兵隊にされて戦争に翻弄され極貧生活させられたんだから戦争反対になるのは時代的に仕方ないよ。
中曽根とよく論戦してたけど、今時の野党と比べたら信念持ってるおっさんだったと思うよ
自衛隊を認めちゃった人ね(´・ω・`)
まだ生きてたのか、びっくりしたわw
土井のマドンナ旋風の前の人だったな
社会党の正義って石橋までだったように思う
やはり女がトップに立つと終わるな
「護憲」も「非武装中立論」も石橋氏自身の本心ではなかったろう
ではなぜそのような主張をしたか?
日米安保と自衛隊無くした上でソ連や中共の軍事力を使って
憲法体制を破壊し日本を共産主義化線がためである