京阪ホールディングス > 京阪電気鉄道 京阪電気鉄道株式会社(けいはんでんきてつどう、英: Keihan Electric Railway Co.,Ltd.)は、大阪府北東部から京都府南部、滋賀県大津市にかけて路線網を持つ鉄道会社。京阪ホールディングスの子会社である。通称は京阪電鉄または京阪 250キロバイト (32,994 語) - 2021年10月15日 (金) 17:08 |
初めての多扉車ですからね🚃
スーパーカーとも言いましたね🚃
半世紀も走ったのですね😳
お疲れ様でした🚃
東洋経済10/15 5:50
https://toyokeizai.net/articles/-/462037
2021年10月、JR東日本の所有するE4系新幹線が定期運用を終了した。E4系は、1994年に登場したE1系に続くオール2階建ての新幹線車両として、1997年にデビュー。E1系の12両編成から8両編成へと短くなった一方、朝ラッシュの混雑時には2編成を併結した16両で運転され、その座席定員は1634名と抜群の輸送力を誇った。
だが、車両の老朽化に加え、オール2階建て車両であるがゆえの車体の大きさが、スピードアップや騒音問題の足かせだった。E4系の廃車で、1985年に東海道・山陽新幹線で走り始めた100系新幹線以来、36年間にわたって新幹線で見られた2階建て車両も、姿を消すことになった。
■通勤車両の大量輸送にも節目
E4系の引退は、鉄道ファンはもちろん一般の利用者からも多くの注目を集めた。特に、引退日が発表された6月下旬以降は、駅などで写真を撮る人々が増加。新聞やニュースでも取り上げられ、話題となった。
また、これに先立つ2021年3月のダイヤ改正では、「湘南ライナー」などで使用されてきた、同じく2階建て構造の215系電車も引退。首都圏で見られる2階建て車両は、引き続きJR在来線のグリーン車などがあるものの、1つの節目を迎えたと言えるだろう。
一方、この陰に隠れる形で、関西のある車両が現役を退いた。そしてそれは、半世紀以上前にこの車両が切り開いた、鉄道車両の一ジャンルにも幕を下ろす出来事となったのである。その車両は、京阪電気鉄道の5000系という。京阪5000系は、1970年も終わろうかという12月下旬に営業を開始した。この車両の最大の特徴は、長さ18.2mという、JRの通勤型電車(約19.5m)より短い車体に片側5つの客扉を設けた点である。
当時、日本は高度経済成長期の真っただ中。大都市圏の人口は増える一方で、鉄道各社はその対策に追われていた。京阪も、列車を増発し編成を長くするなど、さまざまな輸送力増強に努めたが、乗客増加のスピードはそれを上回っており、混雑はひどくなるばかり。何とか列車に乗り込もうという人々で、列車の遅れも激化していった。
一方で、複々線区間の延伸やさらに編成を伸ばすための架線電圧の昇圧といった抜本的な対策は、完成までに長い年月を要する。そこで京阪は完成までのつなぎとして、1両あたりの扉数を増やし、乗り降りをスムーズにするという策を考えついた。
■“扉だらけ”の独特スタイル
こうして生まれたのが5000系である。換気上必要な窓の面積を確保するため、客扉の幅は1300mmから1200mmへとわずかに狭まったものの、片側3カ所から5カ所に増えたことで、側面は“扉だらけ”といった独特のスタイルになった。
ただ、扉を増やせば必然的に座席が少なくなる。日中は扉数よりも座席数を確保し、サービスレベルを維持したい。この相反する課題を解決したのが、もう1つの策、昇降式座席だ。日中は5つある扉のうち2つを閉鎖し、天井近くに収納しておいた座席を下ろすことで、他形式とほぼ同等の座席数を確保した。ちなみに、座席を昇降する仕組みは電動式シャッターを参考に開発したという。
前述の通り、1970年末から営業を開始した京阪5000系は、朝ラッシュ時間帯で最も混雑する列車に投入され、さっそくその実力を発揮した。各駅の停車時間は、平均で20秒ほど短縮できたとも言われている。翌年にかけて計4編成が作られ、さらに1976年に1編成、1980年に2編成を増備。最終的には7編成にまで増えたことも、この設計思想が間違いでなかったことの証左といえるだろう。
そして、この多扉車という考えは平成に入って首都圏でも広まってゆく。京阪5000系から遅れること20年、1990年にJR東日本が山手線の混雑緩和を目的として、6扉車の運行を開始。同年には営団地下鉄(現:東京メトロ)も5扉車を導入し、後に東武鉄道や東急電鉄などにもお目見えした。ただし、京阪5000系はすべての車両が多扉車だったが、首都圏各社は基本的に編成中の一部車両のみとしている。
首都圏でもラッシュ時の混雑緩和に貢献した多扉車だったが、2010年代に入ると新たな問題が発生した。ホームドアの設置が求められるようになる一方、扉の位置が統一されていないと一般的な可動式ホーム柵への対応が難しいというもので、徐々に姿を消してゆく。2020年春には、首都圏で最後まで残っていたJR中央・総武線各駅停車や東京メトロ日比谷線、東武伊勢崎線などの多扉車が相次いで引退。くしくも、多扉車の元祖である京阪5000系が、最後まで残る形となった。
■京阪5000系もついに引退
その京阪でも、京橋駅へのホーム柵設置が決まったことから、5000系の廃車が2018年から本格的に始まった。
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